いつでもすぐに思い出せる

赤帽中に良くFMラジオを聴いているがラジオのCMというのは中々面白い。短い時間に言葉だけで商品のメリットを伝えようとするわけだから、いかに言葉にインパクトを持たせるかに工夫が感じられる。少し長い枠をもったCMなどはいかに聞き手に関心を持たせ続けるかということに対しての工夫が感じられるように思う。

印象深いCMはスピードラーニングという英語教材のCMなのだが、石川遼選手も愛用しているという一点で押しに押してくる。
教材を聞き流すだけで英語が上達する。勉強なんかしなくていい!と豪語するCMであるのだが、ただ聞き流すとはいえ意味のわからない英語をただきいているというのは中々にしんどいことなのではないだろうかとも思う。
一時私も英語のラジオを聴いて英語の勉強をしていたが意味のわからない言葉をひたすら聞いているというのは精神的に負担がかかった。とてもつらかったのですぐ止めてしまった。

しかし「聞き流す」という言葉は中々日常生活において意味のある言葉ではないかとも思うのである。人間はストレスが無駄にかかるととてもしんどいので、楽しく生きていく知恵として聞き流すことが重要であると感じる。
他人のくだらない愚痴を聞き流し、面白くない講釈や説教を聞き流し、他人の悪口を聞き流す。ネガティブな言葉や発言を聞き流す事によって自分にかかるストレスを軽減する事ができる。

しかし聞き流してばかりいると大事なことも聞き流してしまい、なんだかいい加減な人間になってしまいそうでもある。
約束を聞き流し、講義中も覚えなければならないようなことも聞き流し、はては自分への問いかけをも聞き流してしまう。

何事もバランスが大事だなと思うのである。



イケナイ恋のレンタカー

そろそろ色々な所で卒業式が行われる時期に差し掛かってきたわけだが私にとって卒業式というのはあまり良い印象が残ってない。

小学校の卒業式では証書を受け取る際、壇上で自分の名前を大きい声で叫び受け取るという流れであったが、当時私はチャンウソンという本名で通っていたのでその名前がオカシイとおもった田舎のオバちゃん連中に式後からまれモヤモヤしたというクソみたいな思い出がいまも残っている。中学の卒業式では、クラスの皆は小学校、果ては幼稚園の頃から同じ地域で暮らしてきた人たちであったので、震災で二年の後半に転校してきた私はクラスに馴染んでいたつもりであったが、やはりこの中学校は自分にとってアウェーであったのだと痛感することになるという少し寂しい卒業式であったと今にして思う。

よくよく考えてみれば今中学時代の友人たちの名前も顔も忘れてしまっている。街中や地元で出くわしても恐らく気付くこともなく通りすぎてしまうだろう。しかも一切の勉強をしなかった私は、近くのウンコ私立高校にすら受からない体たらくであり、名前を書けば受かるといういわゆるFラン高校である京都韓国高校にしか行けなかった。しかもこの当時の韓国高校は卒業しても高卒の資格がないというふざけっぷりであり、言ってみれば私にとっての卒業はお先真っ暗でしかなかったと言える。

その高校生活も一年足らずで終止符をうつことになったわけで、高校時代に皆が経験する部活や文化祭、体育祭、そして修学旅行などを体験できなかったわである。なので学園もののアニメ等を観ると文化祭や体育祭そして修学旅行の場面が必ずといっていい程に描写されるが、そのたびに「ワシの青春てなんやんたんやろ」とワシの人生こんなんでとかったんかな的ウンコ思考に陥ってしまうのである。私はシーブリーズのCMのような青春がしたかったのである。部活に関しては先輩に無理矢理サッカー部に入部させられた挙句に、サボったことがバレて何故か殴られるという腐れ苦い記憶しかないという終わりっぷりであったので、私にとっては部活=青春では決してないのである。

果たして私の大学卒業式はどうなるのであろうか。ハッキリ言って学生生活は充実しており、オッサンなりに友人もできたし、面白い人に囲まれて楽しい講義を受け幸せな気持ちで日々を過ごしている。もしかしたら年甲斐もなく卒業式で感動なんかしてしまうかも知れんと今から警戒しているのである。





今嵐が来ても味方にさえなる程強く

明日は朝から英語の授業で期末試験のスピーチと、昼からレポートの発表がある。
中々ハードな一日になりそうな予感がするなあ。英語のスピーチはパワーポイントでスライドショウを作り、英語で説明していくという形式で、なんとか誤魔化し誤魔化しでっち上げたものを厚顔無恥という武器1つで乗り切る覚悟である。
昼からのキリスト教文化学のレポートは高卒認定を始めとした、全日制高等学校以外で高卒の資格を得るための方法をレポートしたものを発表することになっている。以前にも当ブログで書いたが、お茶会方式でお菓子を発表者が用意するシステムになっているので、明日は私がお菓子を持参しなければならいのである。やることが非常に多い一日になりそうだ。



明日の糧を得るために

今私は不景気をもろに喰らっている。
私の日々の糧であるAKB(赤帽)の仕事がかなり減り、収入源がなくなりつつあるのだ。
収入がなくなると日々の生活に支障をきたすことになるので、早急に他の収入源を見つけなければならぬ状態にある。
赤帽のアルバイトは私にとって時間的都合が非常に良く、ペイも悪くないとてもよい仕事であったが仕事が減ったのであるならば致し方ないのである。他の仕事を探さなければならない。しかし、私の今のライフスタイルを変えること無く仕事を見つけようとなるとかなり厳しい。何も不景気は赤帽だけではないからだ。アルバイト雑誌を眺めていても、そうそう自分の都合に合う仕事など有るはずもなくモヤモヤするばかりである。

何か打開策を考えなければならぬ。
昔とった杵柄でパチスロで稼ぐ事も考えたが、現役プロの友人も昨今のパチンコ業界の厳しさに中々に苦しんでいるようである。

グムー。世の中は厳しい。

しかし明るい夜明けは必ずやって来る。

初風呂

初風呂と言う事で近くの竜宮という銭湯に行ってきた。
この銭湯は私が電気工事会社で働いていた時に毎日のようにお世話になっていた風呂屋である。サウナに入りながらぼーっと今日一日の出来事を反芻しながら汗を流し、週末までの日にちを指折り数えていた。来る客も毎日同じ面子で、話している内容も毎回同じであった。

最近はジムに行っているので中々竜宮に行く機会がなかったが、久々に行くと私が毎日通っていた時のままであった。
壊れたサウナの扉や出の悪いシャワー。そして通っているオッサンの面々。そして話している内容までもがまるで変わらいのであった。まるで竜宮が精神と時の部屋の様に時間の止まった空間に存在しているかのようでもあり、少し不思議な体験でもあった。